#17 I live with the true understanding of my life. わたしはこのいのちの真の理解と共に生きています。DOH(5) Understanding

本日はこちら、わたくしの愛読書チベットの生と死の書からのシェア!だいぶ前、祖父、つまりわたくしの父の父が亡くなった際に、父にプレゼントしたはずだったけれども、結局今、わたくしの本棚にあるという〜(* ̄ー ̄*) そんなもんですね。

そして、健康を定義するもの(DOH)ということで、お話を結構、真面目に進めて参りましたね♪まだまだ続きますよ。

Meaning/ME: 生きる意味。自分にとって何が大事なのか?

Awareness:自分は誰なのか、その本質という意識

Mindfulness:自分がここに、この瞬間に在ること。マインドフルネス。

Compassion /The Power of Mind: 自分を大切にすること。その思いやり

⑤Understanding/Personal Development: 自分を深く理解すること。真の理解とその学び。⬅︎本日はここ!

Photo by Lan Yao on Pexels.com

Personal Developmentとは、人として成長していく、発展していくための学び、ですね。自己啓発、という言葉に値するのでしょうが、何故だか日本だといろいろな意味合いを含んでしまう時もあるようですね。さすが、曖昧さが強みでもあり、脆さともなる奥行き深い文化だからこそ、言葉の境界線も意図して明確にして使っていくことが大事だと度々反省します。

とはいえ、この項目も、いつもの、そもそも、の分類に入りますね。わたしたちの健康のそもそもをまず整えていく。人として、人類として、いのちとして、進化し続けているわけですから、まぁ、一生勉強、成長、発展し続けているわけでもあります。この個としての意識がなーんにーもしてなくても、この体も、この種も、この惑星も、常に進化し続けている。わたしたちはいま、その進化の過程の中に生きているんですね。なんてロマン〜(*^艸^*)

究極の意味を奪われた生を生きている現代人

チベットの教えの真髄には、生死、つまりいのちの「真の理解」の学びがあるからこそ、人々がこころの本質を受け入れ、生きているうちに死に親しむ、というところがあります。死を知ることで、人生観全体が変容し、人間としての確かな責任感と道徳観を培うことになるからこそ、より生きることを生きることができるのでしょう。だからこそ、瞑想とは、「繰り返しその心の本質を明らかに、徐々にそれを認識し、安定させる手段」、つまり、死のための準備、という練習でもあるんですねー(* ̄ー ̄)。このチベットの感覚で言えば、わたしなんか、もー、真面目に毎朝晩死ぬための練習してますよー(o^∀^)o ゚ 

こんな仏陀もの言葉もあるそうですね。

今この生を死への準備に供することができる!

ブッダ

死んだときのために、今生きている!さすが、ブッダの言葉は突き抜けていらっしゃいますね。とはいえ、死だけを称賛しているのではなく、死ぬことの意味、生きることの意味、生死の両方に、いのちの全体像を理解する大切さを伝えている。だからこそ、西洋、もしくは現代社会における、死や死後についての理解の欠如と恐れが破壊的な影響を及ぼしていることにも懸念を抱いている。当然ながら、全体像知らずして最善策が打てるわけがないですよね!?そういう思いもあって、この本も英語や日本語など、様々な言語で出版されているということもあると思われる。

愛する人の死に際して心残りになること

わたしたち現代人は、知人が、愛する人に対してでさえも、死にかけている時に何をすればいいかわからない。それは何ができるのか教えてこられていないから。それは仕方ないですね。誰もが通る道なのに。多数の人々がただ途方に暮れ、絶望と自責の念にかられ、後悔を抱いたままでいる。わたしくし自身、そうではないと頭ではわかっているけれども(実際できたことはたくさんありました。死ぬ前に出会っていたことはお互い決めてきて最善だったのだと今は思えます。)、それでも医療者という背景を持ちながらも、「死なせてしまった」、「救えなかった」、「助けることができなかった」、といのちの真の理解を無視して、おこがましくも自分を責めるしかできずにいた絶望の暗黒時期は、いまでも思い出すと苦しくなります。うっかりすると戻りそうになりますが、医療者でなかったとしても、愛する人なら尚更でしょう。愛する人には、やはり、生きていて欲しいと、共にずっと生きていたいと、これまた、いのちの真の理解を無視してでも、どうしても思わないはずがないのだから。

平成29年度人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書によると、愛する人の死に対して心残りがある、と答えた人にたいして「どうしていたら心残りがなかったか。」という質問に対しての答えは以下の通り。

実際、本当にそうしていたら心残りなかったかどうかは、誰にもわからないけれど、やはり人生において、したことよりも、しなかったことの方が後悔するのは間違いないようですね。全体的に一番多かったのは「あらかじめ身近て大切な人と人生の最終段階において話し合えていたら」、という回答。その次が、「大切な人の苦痛がもっと緩和されていたら」。つまり、

「生きているうちに死について話し合えておけばよかった。」

そういうことですよね。また、死際の苦痛にもいろいろな種類がありますが、死に対する恐怖、自分が死ぬことに対する不安、愛する人を残していく懸念、そんな心理的苦痛は「生の後の生」、死とは何なのか?、死後どうなるのか?、を知っていたら軽減されていたかもしれません。そしてちなみに、心身両方の痛みの軽減に関しても、自然医学的に、ホリスティックに、多元的に、様々なツールを活用することも(例えばレイキヒーリング、ヘンプ、音楽、アロマ、ヒプノ、アクセスバーズ、から食事療法や環境設定など)色々と選択肢はあるから知っておくに越したことはないとも思います。選べるってエンパワメントになりますからね。

とはいえ!全て結局、すべて結果オーライであることも間違い無いと、わたくし個人は思います。後悔していようと、心残りがあろうと、それだけ愛する人と出会えた、その人生における有難い奇跡を証明しているわけなので、嬉しいですよね。出会えてよかったよね。尊いいのちの経験、一生に一度しかない経験を共有できたって物凄いことだよね。それをもし、選んできたのであったら、それこそやっぱり、ソウルメイトだとしか思えないよね。出会うべくして、出会ったんだよね。愛しているからこそ、心揺さぶられるのだから、それだけの愛を培ってきた、分かち合っていた、そういうことなんだよね。

いのちの真の意味を理解するからこそ、生と死、その両方に、またとない希望が生まれ、素晴らしい自由の可能性が開かられる

これら古き深きチベットの教えの真髄、生と死を理解する鍵となる心の本質を明らかにして生きていく(死んでいく)術とは、3万年の死の教え、とも言われる。3万年ですよ、3万年!!!(  ゜ ▽ ゜ ;)エビデンスがどーのこーのと言われるようになった昨今の統計データ化されてきた研究にももちろん、大切な学びや情報はありますが、3万年間、周到に、入念に探究し、そして体系化されてきたこの「いのちの本質とその真の理解の実践」に到底追いつけるわけがないですよね💦 

真の理解の学びがあるからこそ、わたしたちはいのちの本質を受け入れ、意味を見出し、生きて(死んで)いくことができる。そこに素晴らしい自由の可能性を、希望を見出し、自らの死も誕生も選ぶことができる。死は敗北てはなく、勝利であり、生のこの上ない栄光の時である、とリンポチェは書き残している。まさに、いのちの繁栄、Flourishingな状態!(人´∀`*).

本日のポッドキャスト では、その真の理解がもたらす自由と希望と光にチューニングするちょこっと瞑想で締め括ります♪

ということで、本日のデリこと!

I live with the true understanding of my life. 

わたしはこのいのちの真の理解と共に生きています。

人生、一生勉強ですね♪(●´∀`)ノ

愛と希望と感謝の気持ちを込めて🙏

【チベット関連ラジオ】

【第676回】わたし達の自己治癒力、宇宙・地球共鳴を促す「休んで緩む」こと

【第530回】全てが時空間を超越して 繋がっている感覚と四梵住

【第510回】チベット医学の癒しの宇宙が教えてくれる幻想と本質

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